公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2005年9号掲載
複顔的生き方こそシニア男性の「VIVA!自分」
2007年問題ともいわれている団塊世代の大量定年退職。かつての定年後男性は「濡れ落ち葉」などと言われ、妻に疎まれていた。しかし、団塊世代は夫婦や家族に対する価値観が「濡れ落ち葉世代」とはそもそも異なり、時間も活力もまだまだ十分にある。平成16年の厚生労働省発表の平均余命によれば、男性78.64年、女性85.59年である。平均的に生きれば60歳に定年、その後会社に通わない生活が18年続くことになる。その18年間、どのような毎日を過ごすのか。
平成6年に当時の定年前後世代、すなわち団塊世代の上の世代の男性に対し、意識調査したことがあった(東急田園都市沿線在住の昭和4~14年生まれの男性:647名)。
当時の彼らはまさに仕事人間であり、休日になると生活のリズムが狂うと嘆き、趣味を聞かれても困ると訴え、定年になったからと言って一日中読書や音楽鑑賞をするわけにはいかない、と困惑していた。当時圧倒的少数だった先進層は毎日夫婦でスポーツクラブへ行ったり、スポーツカーで東名高速を飛ばしたり、顧問として毎日行く場所を確保していた。
10年たった現在はいかがであろう。スポーツクラブに定期的に通うシニア層はこの数年確実に増加し、定着した。しかし、定年前教育や定年後情報が飛躍的に増えたとはいえ、約40年間続けてきたリズムを変えることに対する意識は、案外10年前と大きな相違がないのではないだろうか。
実際、定年後男性のライフスタイルの描かれ方は、未だあまりにも画一的だ。多少言葉やビジュアルに新しさがあっても、10年前と本質的な変化はない。
これらは決して的外れではないが、シニア男性の「これから」を魅力的に仕立てているレベルではない。むしろ『BRIO』や『LEON』、『日経おとなのOFF』の世界観の方がシニア男性には近い世界であろう。そう、孫の有無にかかわらず、シニア男性は「おじいさん」ではないのだ。
現に、シニア世代にインタビューする際に自称精神年齢を尋ねると、異口同音に「30代」との答えが返ってくる。実年齢よりも彼らの行動を支えているのは、「30代」の頃の自分であることに注目したい。
また、先に弊社が行った恋愛観・結婚観に対する調査では、50代以上男性の恋愛意欲の高さが際立った。「いくつになっても恋をしたい」が45.7%と4割を越えたのは50代以上男性のみである。55~59歳に至っては48.6%であった。結婚生活に対しては「安らぎや安心感がある」と回答した割合も44.7%と、同世代女性の37.5%より高い(ちなみに同世代女性にとっては「子供による喜び」45.8%がもっとも高い)。この数字は、恋愛に意欲的というよりも、恋愛に象徴される「エネルギーを要する新しいテーマ」に意欲的である、と言えるだろう。意欲の受け皿がまだ十分整備されていないのだ。
シニア男性よりもシニア女性の方がいきいきとしている、とはよく言われることであるが、それはいきいきとしているシニア女性たちがいくつもの顔を持っており、その顔のどれもが自分自身であるからだ。妻・母・嫁・義母として毎日の育児・家事・介護を行いながら、時にフラダンサーとして音楽にカラダを揺らし、時にストイックにマットの上でヨガのポーズを取り、時に図書館で朗読ボランティアをする。しかも、昨日今日に始めた生活でなく、既に年季が入っている。この生活はもはや複眼ではない。高みの見物ではなく、すべてに自分自身がリアルに関わっているからこそ生まれる時間と経験の積み重ねがそこにある。ゆえに複眼ではなく「複顔」。この複顔的人生こそが、定年後の豊かさ・楽しさの多層を形成する原資である。
仕事に邁進しているのに「複顔」でいる余裕はない、とすれば、それこそ迂闊である。妻たちだって家事という果てしない大地を歩み続けながら、自分のためにさまざまな種を蒔いてきたのだ。もっとも、シニアビジネスの一側面としてみれば、そんな迂闊救済ビジネスには大きなチャンスである。
ぜひとも、これからのシニア男性にはいろいろな花をいくつも咲かせて、魅力的なシニアライフを見せて欲しい。なぜなら、そんな彼らの姿に一番勇気づけられ、彼らを参考にするのは、もしかしたら「お嫁さんが欲しい!」と本気で思い、将来のロールモデルを持てないままに中年の域に達しつつあるシングルキャリア女性かもしれないのだから。