公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2008年1号掲載
現在日本で生活している1億2779万人(2007年11月概算値。総務省統計局)。ここ数年は、07年に大量定年退職を迎えた団塊世代やその上のシニア世代にマーケティングの注目が集まっていたが、世代を越えた活発な消費力という点では無視できない子供と子供を取り巻く人々の消費生活を、構成人口を手掛かりに見ていきたい。リュクスな結婚・出産イベント
0~4歳児543万人。出生児数109万人。画期的な対策がない状態が続いている少子化現象であるが、赤ちゃんを取り巻く家族の思いとお財布事情はご存知の通り十分に熱い。通称「できちゃった婚」も偶発的・戦略的双方の実態を踏まえ、「おめでた婚」や「ママリッジ」などいろいろな呼称がつくほど有望なターゲットとして、そのポジションがブライダル業界にとって確実なものになってきている。
特に活気づいているのが、若年における結婚・出産とは一線を画する30代以上のそれである。大人(の経済力)ならではの強みを活かした、物理的にも精神的にも贅沢と豊かさを象徴するライフイベントとして「リュクス(luxe)」に塗り替えられている。もはやパステルカラーのふわふわしたイメージだけで結婚・出産のシーンを描くことができない。
高額かつファッショナブルなマタニティウエアで貴重な限定期間を自ら慈しみ、出産後のベビー用品も「自分のスタイル表現に相応しいかどうか」という物差しで厳しく選んでいく。
有職女性にとって結婚・妊娠・出産が当たり前のことではなくなると同時に、仕事や習い事とは異なり、大きな決断と自分ひとりの頑張りだけでは実現しないことだからこそ、せっかく手に入れたその機会を目一杯満足するものにしたい、という気持ちが表れている。
育児するオレ
そして、そうしたマインドは男性にも急激に拡がってきている。06年は教育パパとしての側面が注目されていた。同年に月刊化された雑誌「プレジデントファミリー」の見出しは07年を迎えて一層過激さを増し、教育熱心ではあるけれど今ひとつ自信を持ちきれない親御さんたちを魅了している。
その傍ら、07年にさまざまなメディアから注目されたのは「パパがかっこよく見える」ベビーカーや抱っこひもの類であり、パパの育児である。
従来もパパが喜んで買い与えるおもちゃ、という切り口の商品は本格的(高額)なミニカーなどをはじめとして存在していたが、家族サービス以上に育児に関わるイマドキのパパはおもちゃよりもベビーカーにこだわるのだ。赤ちゃんにとって高品質なものであることはもちろん、「育児するオレ」がかっこよく見えることも不可欠な条件になる。限られた使用期間のものだからこそ、男女ともに機能とデザイン、そして「人から見られる自分」には妥協しないのだ。
セレクトショップや海外一流ブランドショップにおいても「ベビー」「キッズ」の売り場はプレミアム感あふれるファミリーで華やいでいる。その人たち自身は決してマスにはならないが、その人たちが発している空気感とモノとの付き合い方は既に十分マスになっている。
プロの介入が進む家族体験
5~14歳1185万人。子供の数が減り大学全入時代を迎えた。都市部における私立中学受験者数も大幅に増え、また有名私立大学の小中一貫校や中高一貫校の相次ぐ登場など、教育熱はますます高くなっている。そして、学校以外の学びの場にも新しい傾向が強くなってきている。
共働き世帯の増加により家事の省力化やアウトソーシングが進んでいたが、育児・教育においてもその現れが目立つようになった。とはいえ、単純なアウトソーシングではない。より効果・効率を求めた上でのものである。即ち、素人の自分たちが教えるよりも、確かなプロにより本格的体験・本物体験を子供にさせた方が子供のために良い、とした上でのものだ。
家族するパパを狙ったクルマが07年も多数出たが、その一方で、プロの指導者が引率する体験型のエコツアーやキャンプ、逆上がりやボール投げを教える体育家庭教師、若い女性に人気のおしゃれなクッキングスタジオでの子供料理教室など、従来は親子が主役だったシーンにプロの第三者が活躍している。
06年10月に東京にオープンし、09年には関西にも開業のエデュテインメントタウンのキッザニアは連日大盛況(土日は半年先まで予約が埋まっている)であるが、これも本物体験を謳ったひとつだ。本格的な仕掛けの中でお仕事体験を通した学びの場。親たちは遠巻きに見ているだけで、その体験には一切関わらないようになっている。それぞれの年齢に応じた楽しみ方ができ、また何度でも通いたくなるキッザニアであるが、近くのレストランで子供たちが園内通貨のお札をテーブルに広げ「いくら稼いだ?」と子供同士で勘定している姿は「お仕事体験」のもう一つの姿だ。
親が子に望むハズレ回避能力
15~24歳1350万人。「お仕事体験」ではなく、本当のお仕事への第一歩、空前の売り手市場となっている就職戦線であるが、仕事選びをする学生たちは冷静かつ手堅い。もちろん教育の現場においても拡大する一方の格差の中では、この世代の学生たちを一概に語ることはできないが、押さえるべきところはきっちり押さえておこう、とする傾向は非常に強い。
就職に有利にならないことは無駄と割り切る明快さ、ゴールへ向けた効率のいいコース設計などは当然のこと。いかにして「世間」からハズレないか・ハズさないかは死活問題であり、小学生の頃から身に付けた処世術でもある。そして、それらは我が子がハズレないようにと教育した親世代の賜でもある。
こうしたハズレ回避欲求は非常に強い生活や消費のベースとして、ますますその力を増している。
考えることは手間か、価値か
生活のあらゆるシーンに効率化・簡便化・自動化・情報化を求めているのは子供たちだけではない。親世代、大人世代こそがそうした価値を重視したからこそ、子供世代にもそれらが基本価値として定着したのだ。
そしてその結果、もっともヒトらしい行為である「考える」ことが減りつつある。考えるプロセスは「感じる」「反応する」プロセスに置き換わり、「判断する」「決断する」行為も他者に委ねられる。正解は常にひとつであり、少しでも早くその正解を手に入れることが重視される。それをゲームやネットの影響とひとくくりにするのは早計である。
コスメやレストラン、ホテルだけでなく、住まいや学校や会社も含め、いまやすべてのモノやコトがランキングやお墨付きの対象になり、そこにおける評価こそが、商品やサービスの売れ行きをますます左右する。もはや消費だけではなく生活全体の価値観として、ハズレたくない・ハズシたくないという失敗回避欲求は引き続きより強くなっていく。
もっとも考える行為を自ら放棄しているわけではなく、考える時間がない、という事情も無視できない。効率化や簡便化が進むほど忙しくなっている生活の中で、具体的に見えにくい考える時間は削られてきたのだ。
効率化の上に花開いた「手間暇の価値」
しかし、そうした生活だからこそ、手間暇かける価値が輝いてきている。わざわざ土鍋でご飯を炊いたり、家庭菜園や手芸に時間を割いたりなど、「あえてひと手間」の価値はむしろ上がっている。小型犬の家族化はその最たるものかもしれない。どんなに手間暇がかかろうとも、それ以上の喜びが得られれば惜しみなく自分を捧げることができる。犬型ロボットやおしゃべり人形よりも、ぬくもりのある反応がやはり嬉しい。
火加減や葉の繁り方、犬の表情など、そのひとつひとつの意味をあれこれ考え、最善を尽くしていく。結果よりもプロセスそのものを楽しめることが大きな価値なのだ。
08年を迎え、これからますます輝きを増していく「手間暇の価値」。それは、決して特別な手間暇ではなく、日常生活の一部として、当たり前のこととして定着できることが欠かせない条件だ。
一度手に入れた便利さや快適さを手放すことは決してない。しかし、その先には便利で快適な生活の基盤の上に成り立つ「手間暇」がある。手間暇かけられる人、手間暇かける対象を持っている人の豊かさがいよいよ花開いていくだろう。