公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2009年8号掲載
男子という存在がこのところ一気にメジャーになり始めている。男の子でもなく、男性でもなく、ヤンキーでもなく、「男子」である。
何年にもわたってファンを増やし続けてきた『花より男子(だんご)』を筆頭に、『テニスの王子様』『メイちゃんの執事』『花ざかりの君たちへ』などなどコミック、TVドラマ、ミュージカル、映画とさまざまなメディアでも男子ものの人気は衰えを知らない右肩上がりである。
メディアの中のイケメン男子は夢を見させてくれる存在であるが、リアルな生活の中でも男子は注目を集めている。2006年には『スーツ男子』『メガネ男子』なる書籍が各々のマニア女子のために刊行されているが、マニアックではなく、ごくありふれた日常の中の男子として、その生態が俄然注目されるようになったのは「弁当男子」の登場ではないだろうか。
「弁当男子」と言われる、自分自身でお弁当を作って出社する若い社会人男性。その「生態」が毎日のように多様な切り口で紹介されている。
弁当男子発生の背景として金融危機があげられる。こうしたわかりやすく、多くの人々の共感を得やすいアイテムがあることも注目される大きな要因である。景気のあおりを受けてランチ代を少しでも節約したいという気持ちに異を唱える人はいない。
さらに彼らが新しい市場創造に一役買っていることもメディアに乗りやすい話題である。ビジネスバッグに収まりやすいスマートタイプのお弁当箱やスリムなランチジャーの売場は大変活性化している。
また、イケメン料理研究家による、その名もずばりの『弁当男子』という料理本も書店で平積みにされている。ちなみに『弁当男子』で紹介されているお弁当はちっとも男性的ではなく、あまりに繊細・丁寧。まさにその点こそが「男子」故の特徴である、と再認識した。
テレビでは企業内サークルとしての弁当男子部が紹介され、会議室でのランチタイムの活動内容(お弁当レシピの交換や品評会)がおもしろおかしく紹介され、新聞では「未婚女性は弁当男子に好印象」との婚活を意識した調査結果もリリースされている。
「男子」は今を映し出す踏み絵でもある
そもそも女性ですら(という発想自体が実は非常に思い込みと実態を視てないことを露呈しているようなものであるが…)手作りのお弁当を会社に持って行くのは非常にハードルが高い行為である。「前の晩のおかずを詰めればすむでしょ」などと気楽に言える話ではない。前の晩に残しておけるおかずがある、という状態そのものが壁になる人々は男女を問わず多い。
さらに、やっかいなのは(やっかい、と感じているのは筆者の主観であるが)お弁当箱の存在である。お弁当箱は使い捨てではない。洗い、乾かし、再びバッグに収めるのだ。あるいは自宅にてバッグから取り出し、洗って翌日に備える。お手製弁当を選択するということは、同時に、面倒な(これも筆者の主観である)周辺行為がもれなく付いてくるのである。
このように、興味本位で弁当男子を語ることはたやすいが、わたくしたちマーケッターが「弁当男子」に代表される事象や、「男子」という言葉が意味すること・表現していることを紐解いていくと「今」と「ちょっと先の未来」が見えてくるようである。
冒頭で「男子」は男の子でもなく、男性でもない存在である、と記した。従来の男性像に表現されるような支配や権力を感じさせず、かといって頼りない存在でもないのが男子である。女性を脅かすことなく、お互いに認め合え、かつ、家事や経済に限らず自分のことは自分で賄えるだけの生活力を持っている、今もっとも求められている男性像が「男子」なのだ。
未既婚を問わず、男子という存在を研究していくことは男女間の研究であり、とりもなおさず次代を描くための生活研究として不可欠である。男子がわからない、と言っている場合ではないし、特異なケースとして認識してはならない。ましてや男子が一過性のブームであると軽視するのも危険である。女性に請われて男性は男子になるのではなく(モテ狙いではなく)、自ら男子になる男性の存在にこそ、わたしたちはもっと多くを学び、そこから生活シーンを刷新していかなければならない。