2013.02.01 執筆コラム しあわせ今昔物語(女性編)

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2013年1号掲載

就活、婚活、妊活…と20代、30代の女性向けのコンテンツには、心落ち着く暇がないほど人生設計に関する各種「活動」を後押しするものがあふれている。ちゃんと就職するため、いい人と結婚するため、希望通りに出産するため…それぞれの活動には目的があり、それら諸活動の最終的な目的は、当然「しあわせになるため」である。しあわせになるための活動であるにも関わらず、そこに漂うカツカツした空気はあまりにビジネスモードで、しかもビジネスよりもよほど手強く、思い通りにならないことが多いためか、活動している人たちがしあわせそうに見えないのは気のせいだろうか(むろん、余計なお世話である)。

かつて、男女を問わず「しあわせな人生」のカタチは比較的シンプルであった。だからこそ、たいして親しくもない生命保険会社の営業担当者が、誕生年さえ提供すればそれなりのベルトコンベア的ライフプランを描いて、何歳くらいでどのくらいの備えが必要かを教えてくれたし、その内容はもっともなものであると認めざるを得ないものだった。

そうした時代は同時に職場結婚全盛期でもあった。いわば就活と婚活が一体化していたわけで、高度成長期では結婚も家庭も企業に守られていた。だからこそ永久就職という言葉も意味を持っていた。

企業が共助の中心だった時代。昨年末に政権は戻ったが、時計の針は戻らない。自己責任、自助自立の声はますます大きくなるばかりだ。

その昔シンプルに描かれていた人生設計に乗れる人は今や稀になり、ライフイベントの一つひとつに対して計画的かつ戦略的な活動が必要になった。特に女性の場合は「出産」という身体のタイムリミットがあるイベントと向き合わなければならない。これまで上昇し続けていた出産年齢と少子化傾向を何とかしなければ、との社会的危機感からか、この1、2年はこれまであまり語られることも少なかった「卵子は老化する」という事実や高齢出産リスクについての情報が、女性誌のみならずマスメディアにおいても頻繁に取り上げられている。

今の40代 50代の女性の中には「わたしたちにもそういう情報が欲しかった、当時は誰も教えてくれなかった」と思っている人も少なくない。だからこそ、女性の場合は「出産 ・子育て」から逆算していく妊活、婚活、就活という「戦略」が特に必要である、とされている。効率良く効果的に就職、結婚、妊娠というそれぞれのゴールまでのプロセスを描いて着実に歩んでいくこと。それはまさに王道であり、一番リスクの少ない人生の歩き方かもしれない。異論を挟む余地などない。

しかし、今日の正解が明日も正解であるとは限らないこの時代、あまりに戦略的活動計画に執着するのも、時にリスクとなりはしないか。ただでさえ恋愛という最大の不確定要素を結婚に組み込むことが前提なのだから。

就活も婚活も妊活も、それぞれのライフイベントを商機とみるビジネスパーソンにとっては、いずれも育て甲斐のある活動テーマである。人生のしあわせをお手伝いしながら、経済を回していけるのだから。

が、もしも自分に娘がいたら「就活、婚活、妊活とカツカツするより、何があっても生きていけるように日々頭と体を柔軟に鍛えておけ」と言うかもしれない。生きていく限り続く「いかに生きていくか」、そのための活動、それこそが「生活」なんだよ、と。

そして、まったく同様のことが出産リミットのない男性に対しても言うべき時代になってきている。

平成24年の内閣府 「男女共同参画社会に関する世論調査」 において、毎回調査している『夫は外で働き、妻は家庭を守るべき』との考えに対し、賛成が51.6%、反対が45.1%であったが、平成4年以来、賛成とする人がずっと減少傾向であったのが、今回は前回結果から10.3%の増加となった。

若い女性に専業主婦願望が増えてきている、との論調に符合するかのような結果であるが、性・年代別に見ていくと女性の20~50代では「反対」がいずれも約56%で、女性の60代以上とは明らかに傾向が異なる。結婚しても働いていくであろう現実を見据えた回答である。

一方で男性の20代では「賛成」が55.7%と、むしろ男女70代以上に近い数値となっているが、願望色の強い20代と現実回答の70代以上とでは、回答した気持ちはまったく異なるものだろう。

こうした調査項目自体が意味を持たない時代が、いずれ来るかもしれない。しあわせのカタチが本当の意味で多様化したとき、カツカツ ・ビジネスも成り立たなくなるかもしれない。出産だけはどうにもならないかもしれないが、仕事のあり方も結婚のカタチも変わっていくに違いない。

今、ライフイベントに向けたさまざまな活動に直面している人たちが、カツカツしても、しなくても、どうかしあわせな人生を歩んで行かれますように。人生の後半戦真っ只中、カツカツし損ねたおばさんは、心からそう祈っています。