公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2015年7号掲載
後期高齢女子の出現
先日観たテレビ番組に「おおっ」と感じた場面があった。どこかの地方市町村の公民館のような場所で、おそらく80代であろう、いかにもおばあちゃん然とした女性たちがころころ笑いながら「今日はわたしたち女子会なのよ」と言っていたのだ。「ついにここまで『女子会』は市民権を得たのか」といたく感動したのだが、似たような感慨は他にもある。
最近招かれた60~80代の方々が集うホームパーティでご一緒したご婦人も、ごくごく自然に「この間の女子会でね…」とお話されているのを耳にして、もはや女性同士の集まりは年齢不問で女子会と称される社会になったのだと実感した。
また、50代女性向け雑誌『HERS』(光文社)の記事広告で「顔型を生かすウィッグでさらに女子力UP ! 」との見出しが賀来千香子の笑顔の横で躍っているのを見、50代でも“さらに” “女子力”をアップさせることを“ウィッグ”で誘われてしまうあたり、冷静に考えるとものすごくグロテスクな時代になったものだと思った。いずれにしても、ジェーン・スー氏が著書『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』でアラフォー女性の胸の内を紐解いているが、いまや50代はもちろん、後期高齢者になっても自他共に「女子」でいることが許される社会になったのだ。
自称「女子」は言い訳含みの鎧である
「女子」という言葉は汎用性が高く、そして敵を作らない言葉であるという点においてはとても便利ではあるが、同時に非常に厄介でもある。「女子」や「女子力」、いずれも女性の年齢にかかわらず使えるし、実際のところ、多くの人たちが厳密に考えることなく使っているのではないだろうか。果たして、「女子」や「女子会」「女子力」という言葉がここまで普及する以前、わたしたちはその言葉の代わりにどのような語句を用いていたのか、もはや思い出すのも難しいほど使い勝手のいい言葉だ。
他称における「女子」の使いやすさは、誰にも迷惑をかけず、不快な思いをさせることもなく、ゆえに責められずにすむ点にある。腐女子やこじらせ女子という使い方もあるにはあるが、一般的に多くの場合、女子、と付けたとたんに「明るく前向き、快活ながんばり屋さん、そして同性からも異性からも好かれる可愛げも」という、湿度低めでプラス要素のすべてが凝縮されているような空気感を表現できる。「女性らしいね」「女っぽいね」と下手をすればセクハラ認定されそうな場面でも、「女子力あるね」と言い換えるだけで事なきを得るであろう万能感。モテや男性受けを狙っていても、「女子力磨いてます」と言うといやらしさが軽減され、同性からリスペクトすら得られそうな空気感。受け手が、自分たちにとって都合のいい解釈を付けられる懐の広さと深さが「女子」にはある。
自称においても、他者からの攻撃や反感をかわすエクスキューズが予め含まれた、ヴェールや鎧の代わりになる言葉である。
「女子」と「ママ」は相容れない
先述の雑誌『HERS』にはあって、既婚30代向け雑誌『VERY』(同)にはない言葉、それもまた「女子」である。
「女子」とはひたすら己(おのれ)――己の欲、己の都合、己の流儀――を生きることを是とする属性である。が、是としながらも、そこには100%自己責任という厳しさやストイックなまでの己の追求はない。なにしろ「女子」の「子」の字が示すように、「一人前じゃないから、ちょっと大目に見てね」という永久保存版の伸びしろが初期設定されているのだから。
それに対し、「ママ」は夫や子どもによって成立する存在である。己の何かしらを制限している状態であり、かつ、命を守る責任も負っている。しばしば、母であり、妻であり、女であるわたし、という語り口が用いられるが、「ママ」という期間限定の輝きを得ている間は、母であり、妻であるわたしが最優先され、また、そこに価値がある。
『VERY』においては、他称も自称もすべからく「ママ」という二文字で言い表される。10代から80代までを飲み込む「女子」という言葉を頑なに(?)拒み、一人称も二人称も三人称も「ママ」で通す、その価値と称賛。『VERY』はそれを提供しているのだ。わたしたちは今、女子ではなく「ママ」なのだ、と。女子の期間は長いけれど、「ママ」でいられる時間は短く貴重なひとときだからこそ、「ママ」でいることを選ぶのだ。
ママたちはもう一度女子になる
しかし、ママたちも子育てが落ち着き始めると、再び女子の舞台に戻ってくる。ただ戻ってくるのではない。より一層女子力をパワーアップして返り咲くのだ。弾けるような肌のハリは失っても、心と行動は思い切り弾けている。ママ期間に封印していたエネルギーを解き放つように、ママ経験者の方が高い女子力を発揮している例は枚挙に暇がない。
女子は死ぬまで女子である。以前、50~70代以上の女性50人に対し日記とインタビューの調査をした際にも、彼女たちのきらきら感・イキイキ感から「年を重ねても、女性はいつまでたっても永遠に女子なのだ」と、女子由来のインサイトをいくつか得て提案したが、まだまだシニア女性に対する「女子心」を刺激するアプローチは十分ではない。
彼女たち自身の「己」に対し、きらきらとイキイキで刺激し、サポートしていく機会や場面、そして手段はまだまだ開発途上にある。ましてやこれから高齢になっていく女子たちには「おんなこども」扱いは通用しない。また、若作りのイタいシニア女子を輩出してもならない(このところこの手のイタいシニア女子が増加していることを嘆いている、シニア女子予備群のアラフォー女子が多いことを冷静に受け止めるべきである)。
こうした「女子の高齢化問題」を解消していくことは、間違いなく世のため人のため、そして企業のためになる。女子がしあわせな社会は、誰にとっても幸せな社会なのだ。一緒にがんばりましょう。