公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2007年2号掲載
電車の中でのお化粧行為。一般車両でも、もはや珍しい光景ではなくなったが、女性専用車両ではさらに化粧率・飲食率は倍増する。こうしたお化粧行為に始まり、高校生の着替えや制服アレンジ、地べた座りなど、そこが電車の中であることを忘れてしまいそうになるほど「パブリック空間」の意味性が薄れている。まるで我が家感覚の振る舞いである。
我が家感覚といっても、それは自分の個室ではなく「リビング・ダイニングルーム(LD)」を連想させる。きっと彼女たちは、いや彼女たちの家族も含めて、もっといえばわたしたちは「なんでもあり」を許す空間としてのLD空間の中で育ってきたのだ。
ダイニング・テーブルに化粧ボックスを運んでお化粧する行為は、すっかり定着し、そのためのツールは通販雑誌の定番商品である。また、ダイニング・テーブルがあっても、リビングスペースのローテーブルで大画面TVと対峙しながら食事をしたり、ソファの上で横になったり、ソファを背もたれにしてフロアに横座りすることも、そして、それらが同時に行われることもよくある風景である。(ついでに言えば、個室の勉強部屋よりダイニング・ルームで勉強する子供の方が成績が良いとの記事も周知の通りである。)
家族それぞれが好きなように過ごしてもよし、とされている空間が今のLDである。集う、というよりも、銘々が銘々の時間を過ごす空間。歯磨きをLDでテレビを観ながら行う人も多いし、「きれいなお姉さんは好きですか?」に代表されるような脱毛器使用もかつてのTVCMでお馴染みだ。
毎年市場が成長し、’07年にはいまや40万台になるとも予測されているホームエステ用品(富士経済)が、どこでどのように使われ、保存されているのか、LDがその主たる場所であることは想像に難くない。
1950年代後半にnLDKの原型が生まれて以来、日本家屋で育まれた生活様式・行為がnLDKに持ち込まれた。そもそもの絶対面積が限られている中でのnLDKである。犠牲にならざるを得なかったのは洗面脱衣・バス・トイレなどの共有空間だ。本来は極めてプライベートな場所で行われるべき行為が、どんどん家庭内パブリック空間へその場所を求めた。
仮にLDにおけるそうした行為に眉をしかめ、時には叱咤していた世代がいたとしても、生まれたときからそれがスタンダードであったなら、LDははじめからプライベート行為を内包したパブリック空間として認識される。電車内お化粧や飲食は、その親世代が育てた文化のひとつであるともいえるだろう。
それはそれで仕方のないことだ。世帯面積の制限は容易に解消しないのだから。
それでも違和感を禁じ得ないのは、「きれいになるための空間」が未整備のままなのに、きれいになるための道具と行為と時間はますます増え続け、そのくせそれらがまったく美しくないことに原因があるのだろう。
バスルームはミストサウナやジェットバスなど、美容やリラクゼーションをキーワードに進化しているが、洗面脱衣スペースに情緒はない。せっかく買った高機能なホームエステ機器を、洗濯機の横で使いたいと思うだろうか?美容成分をイオン導入したり、プラチナ入りのナノ・スチームでじっくり肌を潤したりするためには最低約10分は必要である。しかし、そのエステ機器や、座るためのスツールのためのスペースが確保できる恵まれた世帯は少ない。個室(寝室)にドレッサーや鏡台がある世帯の方が少ないのが現状だ。
LDはいまやパウダールームも兼ねているのだ。
ならば、設計段階からそれを認めてしまってはどうであろう。TVの薄型化や記録メディアの進化により、もとよりリビングスペースは大きな転換期にある。くつろぎや集いだけでなく、きれいになるための空間としてのきれいなリビングをコンセプトに持つハードは、必ずヒトの立ち居振る舞いというソフトに影響を及ぼすだろう。
無秩序な「なんでもありLD」ではなく、秩序ある美しい生活を育むLD。そこで生まれ育った世代は、きっと電車の中でメイクすることはないだろう。